旅に出るにあたって最初に越えねばならぬ最初にして最大の難関
そう。親の説得。
とりわけ女子の一人旅となると、そうは問屋が卸さない。
過去のフィジーは留学だからエージェントがいる。
ハワイもタイもツテがあるからなんとか許してくれた。(タイ以外の周遊は事後報告♪)
しかし今回は世界一周。予定としては1年半の見込み。さらに仕事を辞めて住所不定無職。
そらもぉ問屋が独裁商社になるほどの大事件です。
4年前、初のバックパック一人旅を終えて旅がすごく身近なものになった。
たくさんの旅人に会い、世界一周中の旅人を見て決断した。
世界一周する。
夢が目標になった瞬間だった。
それからは・・・「世界一周行きたーい」「世界一周っておもろそうちゃう?」「どこの国に行こっかなー」「やっぱマダガスカルは欠かせないよね~」「最初は大阪南港からの船旅もステキ♪」などなど・・・
間接的に独り言的に病的に《ワタシ世界一周にイッチャウYO》アピール。
その度に「なに言ってんねん」「はいはい、せやな。」と流される。
本気にはしていなかったんだと思う。
〈海外で働く〉
いつか必ず。小さい頃からの夢。これに関しては親も理解してくれていた。
だけど。。。
〈海外へ旅に出る〉
これは親にとっては論外だった。自分にとっては人生の必須過程だったのに。
愛する京都を離れて東京で始まった社会人生活。入社した会社の仕事量は尋常じゃなかった。それでも、どうしても社会人経験が欲しかった。支えてくれた家族や周りへの責任も果たしたかった。だから、自分を殺してがむしゃらに働いた。絶対に泣かない!!
それが出来たのもいつの日かの「世界一周」が自分の中にずっとあったから。
でも、限界は来た。
身体も心もくじけそうになって自分を見失いそうだった。
それでも、いつも光を照らしてくれていたのは「夢」だった。
まだ見える光が消える前に・・・つかみに行かなきゃ!!
決断
本当にやりたいことを叶える時期が来た。
〈海外で働く〉
この手段として、日本語教師への道を本格化させた。
〈海外へ旅に出る〉
これはやっぱり「世界一周」以外の選択肢はなかった。
退職を決め、親へ旅のことを伝えた。
「なんのために行くん?」
・・・母の質問に対してコトバが詰まった。
「行きたいから行く。世界が見たい。」
「そんなもんただの遊びや。ただのプーや。」
・・・言い返せなかった。今の自分には納得させるだけの材料が何もなかった。
母の問いは核心をついていた。
なんのために行くんだろう?
過去に自分が海外に行って一番大切にしたいと確信したもの。
「人とのつながり」
人を幸せにする生き方をしなさいと言われて育てられた。
それが自分の幸せになるってことも信じている。
自分ができることってなんだろう?
真っ先に浮かんだのは《日本語教育》だった。
世界中の日本語を見てみたい。日本語で世界の誰かの未来を照らしたい。
ウソでも建前でもないホントの気持ちだった。
「目的を明確に持ちなさい。でないとただの遊びに終わるで。」その母の言葉への誠意を示すために・・・
仕事と並行で日本語教師養成講座を一切妥協せずにやりきった。
大学時代に借りた奨学金約240万円を全額返済した。
余裕をもった旅資金設定、安全の確保、定期的な連絡を約束した。
自分の使命・人の幸せを考える旅の方向性を報告した。
そして・・・
「わかった。アリサのこと信じてるから。」
・・・
涙が出た。うれしくて、誇らしくて。。。胸が熱くなった。
一生忘れられない。
絶対裏切れない。
♪゜・*:.。. .。.:*・♪゜・*:.。. .。.:*・♪
2014年正月、京都へ帰省した際、家族へ決意表明。
「2014年、桜が咲くころ、旅立ちます。」
旅の企画書とルート案、出発までの予定表を提出。
「きちんと安全なところで明確な目標を持って行くんやで。」
イチバン大切な家族との約束。
本当に始まるんだ。胸を張って行けるんだ。
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